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長編小説が書けないのはなぜ?書けなくなった原因と楽しく書くための考え方

小説のお悩み解決
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なぎ

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2016年から小説サポーターとして、小説の添削・小説完結サポート・小説コミュニティーを行ってきました。
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長編小説を書き始めたのに、途中から手が止まってしまった

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最初はあんなに楽しかったのに、最近は小説を書く気になれないわ

「書きたい気持ちはあるのに、なぜか書けない」長編小説を書いていると、そんな状態になることがありませんか?

この記事では、「もう一度書きたい!」と思った私が、書けなくなってしまった経験を書いています。

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書きたい気持ちの高ぶりから、書けなくなるまで

私は、今年1月に10年ぶりに長編小説を書き始めました。1月に文フリへ行ったことをきっかけに、「もう一度小説を書きたい!」という気持ちが蘇ったのです。

ZINEを作っている人や、自分の作品を販売している人たちを目の当たりにして、「私ももう一度書きたい」気持ちが芽生えたのです。

なぎ
なぎ

久しぶりに作る長編小説は、プロットから楽しくて仕方がありませんでした!

自分の描きたいもの
主人公の葛藤
物語の中で主人公を成長させる瞬間

四六時中これらのことを考えながら、少しずつ頭の中に浮かぶ物語を形にしていきました。

ところが、5月のゴールデンウィークが終わった頃、突然書けなくなりました。

文章を書こうとしても形にならない。
書いては消し、書いては消すを繰り返すだけ。

「まずは読み返すだけでもいい」と考えて原稿を開いても、読み返すだけで終わってしまう。そして気づけば、少しずつ書き溜めていた長編小説の画面を開かなくなっていました。

最初は、「仕事が忙しいからだろう」と思っていました。

ところが、8月になって仕事が落ち着きついても、長編小説を書くことはできませんでした。

不思議なことに、エッセイを書く時間は増えたのに、長編小説だけは開けない。

なぎ
なぎ

どうして書けないんだろう?また小説を書く気持ちがなくなってしまったのかな?

そんなことを考えるようになりました。

友達に話したり、本を読んだり、自分自身と向き合ったりする中で、少しずつその理由が見えてきました。

私は小説を書くことが嫌いになったわけでも、書きたい気持ちがなくなったわけでもなかったのです。

書きたい気持ちよりも、「こうしなければ」という思いが重なりすぎていたのです。

それが、私が長編小説を書けなくなった大きな理由でした。

長編小説が書けなくなった私が気づいた2つの原因

私が長編小説を書けなくなった原因は、大きく2つありました。

1.書き方ばかりに意識を向けすぎていた
2.小説を書く意味を考えすぎていた

どちらも、もともとは「もっと良い小説を書きたい」という気持ちから生まれたものです。

でも、その意識が強くなりすぎたあまりに、書くことを楽しむよりも、自分自身を評価することに意識が向いてしまったのです。

1.書き方ばかりに意識を向けすぎていた

私は20代の頃に小説家を目指す夢を挫折してから、小説を書く側ではなく、誰かの小説をサポートする側として過ごしていました。

小説の感想を伝えたり、作品の添削をしたり。

「この展開をこう変えたら、読者に伝わりやすいやすくなる」
「ここはもう少し主人公の感情を描くとわかりやすい」
「この表現は別の言葉にすると、もっと伝わるかもしれない」

作品を客観的に見ることが長く続いていました。

なぎ
なぎ

その経験は、もちろん今の私にとって大切なものです。

書いている人と一緒に作品について考える時間は楽しいですし、その人が「思ってた通りに書けた!」「作品をよくできた」と言ってくれることにも、大きなやりがいを感じています。

ただ、自分が長編小説を書くときには、その経験がプレッシャーになっていました。

一つ一つの書き方が気になって進まない

文章を書こうとすると、「この表現でいいのかな?もっときれいに書けるんじゃない?この描写では足りないんじゃない?」と、あらゆることを考えてしまいます。

添削をする側だからこそ、自分もきちんと書かなければならない。

そんな意識が無意識のうちに働いていました。

本当は、「このシーンを書きたい!この主人公の感情を早く描きたい!」という気持ちがある。でも、いざ文章にしようとすると、物語よりも「書き方」が気になってしまうのです。

一文を書くたびに立ち止まってしまうので、なかなか物語が前に進みません。

読者になっても無意識に書き方を見ていた

カクヨムで小説を読んでた時のことです。その作品は物語が面白く、思わず応援したくなる主人公が「この先どうなるのか?」続きが気になる作品でした。何よりも、主人公の葛藤に共感できる作品でした。

たくさんの応援コメントも、ハートもついていて、人気作品なのがわかりました。

ところが、私は楽しく読んでいる反面、文章の技術を気にしていたのです。

「セリフだけで進んでいるところもあるのに」「そこまで地の文は上手くないのに」そんなことを考えていたのです。

でも、よく考えてみると、それでも私はその作品を楽しく読んでいました。

主人公が気になる。続きが読みたい。応援したい。

なぎ
なぎ

読者として私が感じていたのは、文章の上手さだけではありませんでした!

そこで初めて、私は「小説を楽しむこと」と「小説の書き方を分析すること」は別なのだと気づきました。

私は長い間、作品を見る側として「どう書かれているか」を意識してきました。その視点が、自分で小説を書くときにも入り込んでいたのです。

私はいつの間にか、小説を書くことよりも、正しく書くことを優先していたのだと思います。

2.小説を書く意味を考えすぎていた

もう一つの原因は、文章そのものではなく、「この小説を書くことにどんな意味があるのだろう?」と考えすぎていたことでした。

長編小説を書いている途中から、こんな考えが浮かぶようになりました。

「こんな作品を書いても意味があるのかな?」
「どうせ誰も読んでくれないんじゃない?」
「誰かに頼まれたわけでもないのに、どうして私はこれを書いているんだろう?」

そして、そこからさらに考えが広がっていきました。

「本にしたいと思っているけど、本にしても読まれなかったらどうしよう」
「世の中にはもっと面白い作品がたくさんある。その中で、わざわざ私の作品を読んでもらえるだろうか?」

こうして、書く前から「作品の価値」を考えるようになっていました。

求められる文章に慣れすぎていた

私は普段、ライターとして依頼された文章を書くことがあります。仕事で文章を書く場合は、誰かから依頼されていて、届ける相手も決まっています。だから、「この文章を書く意味があるのだろうか」と迷うことはありません。

でも、自分のために書く小説は違います。誰かに頼まれたわけではない。完成したところで、読んでもらえる保証もない。本にできるかどうかもわからない。

そう考えているうちに、「書きたい」という気持ちより、「書くなら何かにつながらなければ」という気持ちが強くなっていったのです。

読まれることに価値を置きすぎていた

なぎ
なぎ

読まれる作品を書かなければ

私はこの気持ちが強くなりすぎていました。

カクヨムなどで他の人の作品を読むと、面白い作品がたくさんあります。本として出版されている作品にも、素晴らしいものがたくさんあります。

そんな作品を見ていると、「こんなにすごい作品があるのに、私の作品を読む理由なんてあるのかな」と考えてしまったのです。

その結果、まだ書き終わってもいない作品に対しても、「これは、誰かの心に残る作品になっているのか?」「これを公開して読んでくれる人はいるのだろうか?」と答えを求めるようになってしまいました。

もちろん、自分の作品を読んでもらいたいと思うのは自然なことです。せっかく書いた作品なら、「多くの人に読んでもらいたい」と思うのは当然だと思います。

でも、「読まれること」を意識するあまり、「書くこと」そのものに価値を感じられなくなっていたのだと思います。

書きたいから書く。書くのが楽しいから書く。それだけでも、本当は十分だったはずなのに。私はいつの間にか、「この作品には意味がある」と自分で証明しようとしていたのです。

その結果、自分の作品に自信が持てなくなり、書くことそのものから遠ざかっていきました。

「小説が書けない=小説が嫌い」ではなかった

ここまで自分のことを振り返って、私は一つのことに気づきました。

長編小説が書けなくなったからといって、小説を書くこと自体が嫌いになったわけではなかったのです。

むしろ、書きたい気持ちは残っていました。

ただ、「上手く書かなければ」「意味のある作品にしなければ」という考えが、その気持ちを覆っていただけでした。

そのことに気づいたのは、長編小説以外の文章を書いていたときです。

8月頃から私は、自分自身と向き合う時間を増やしていました。

・自分の内側にあるもの
・過去の経験
・これまで人に言えなかった思い

そうしたものを文章にしてみたいという気持ちが、少しずつ強くなっていきました。

そして、自分の過去や思いをノンフィクション小説やエッセイとしてnoteに書くようになりました。

すると、不思議なことに文章を書くのが楽しかったのです。

なぎ
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あの出来事について書きたい!この気持ちを伝えたい!

そんな思いが自然と出てきました。

そこで初めて、「私、書くこと自体はまだ好きなんだ」と思えました。

書くことは、自分を表現することだった

これまで私は、小説を書くことやnoteを書くことに、何かしらの「目的」を持たせようとしていました。

・本につなげたい
・仕事につなげたい
・役に立つものを書きたい

もちろん、それらが悪いわけではありません。

でも、それだけを目的にすると、書いている途中で「意味があるのか?」と迷ってしまいます。

最近の私は、少しずつ考え方が変わってきました。

「自分がこう思ったから書く」でもいい。

「この経験を残しておきたい」
「この気持ちを誰かに届けたい」
「この世界を文章にしたい」

そんな理由で書いてもいい。

誰かに評価されるためではなく、自分を表現するために書いてもいい。

そう思えるようになってから、少しずつ文章を書くことが楽しくなってきました。

まだ公開するときには、「読んでもらえるかな」「意味があるかな」と考えてしまう気持ちはあります。それでも、書いている時間そのものは楽しめるようになりました。

なぎ
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その感覚が戻ってきたことが、今の私にとっては大きな変化でした。

長編小説が書けないときは、無理に長編に戻らなくてもいい

今の私は、まだ長編小説を書いていません。

以前なら、「せっかく書き始めたのだから最後まで完成させなければ」と考えていたと思います。

でも、今はそう思わなくなりました。

・エッセイを書いてもいい
・私小説を書いてもいい
・ショートショートや短編を書いてもいい
・書きたいシーンだけ書いてもいい
・途中で別の作品を書いてもいい

なぎ
なぎ

今の自分が書きたいものを書けばいい!

そんなふうに考えられるようになりました。

長編小説だけが「ちゃんとした作品」ではありません。

短い作品にも、その作品だからこそ描けるものがあります。何よりも、いくつかの短い作品が集まれば、短編集にすることもできます。

最初から「本にするための作品」を作らなくてもいい。
「このテーマで作品を完成させなければ」と決めなくてもいい。

書きながら、自分に合う形を見つけていけばいい。今はそんなふうに考えています。

小説が書けないときに大切なのは「書けない自分」を責めないこと

長編小説を書いていると、どうしても「完成させること」が目標になりがちです。

だから、途中で手が止まると、「また挫折した」「自分には才能がない」「私は小説を完成させられない」と、自分を責めてしまうことがあります。

でも、書けない理由は一つではありません。

・物語の展開に悩んでいるのかもしれない
・疲れているのかもしれない
・書き方を気にしすぎているのかもしれない
・読者からの評価を気にしているのかもしれない

なぎ
なぎ

あるいは、今は長編を書く時期ではないだけかもしれません。

だから、「書けない=小説が嫌いになった」と決めつける必要はありません。

私は、長編小説を書けなくなったからこそ、「自分がなぜ書けなくなったのか」を考えることができました。そして、「私は何を書きたいのか」「なぜ書きたいのか」を改めて考えるきっかけにもなりました。

長編小説が書けない。それでも、今はいいと思える

今はエッセイを書くことが楽しい。自分の過去や思いを文章にすることも楽しい。短い作品を書くことも楽しい。

そして、書いたものを誰かに読んでもらい、「私もそう思う」と共感してもらえることが嬉しい。

何より、「書かなければ」ではなく、「書きたい」と思って文章に向かえる時間が戻ってきたことが嬉しいのです。

なぎ
なぎ

だから、今は無理に長編小説を書こうとは思っていません。

いつかまた、「この物語を書きたい」と心から思える日が来たら、そのときに続きを書けばいい。

今書きたい物を書きたいように楽しめばいい。

書きたいものを書いている時間そのものを、大切にしたいと思っています。

長編小説が書けない。それでも、いい。私は今、そう思えるようになりました。

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